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第3話 カフェ・ロッソの休日

last update 最終更新日: 2025-12-03 06:00:26

 休日の桜都市・商店街。

 石畳の路地を歩く足取りは、裁判所への道中より軽やかだった。

 東條菊乃は白いワンピースに淡いカーディガン。

 黒髪をきちんとまとめ、誰が見ても“令嬢のお出かけ”そのものだった。

 向かう先は――話題のカフェ「カフェ・ロッソ」。

(SNSで毎日のように写真を見ますわ。名物はベリーを宝石のように散りばめたタルト……。優雅な休日にふさわしい場所ですわね)

 ガラス扉を押して入店。

 木目調の家具と観葉植物が並び、落ち着いた空気が漂っていた。

「いらっしゃいませ」

 迎えたのはバリスタ姿の西園寺慎。

 落ち着いた笑顔に、菊乃は小さくうなずく。

「ブレンドコーヒーを一つと……“ベリータルト・ロッソ”をお願いいたします」

 やがてテーブルに運ばれたのは、苺、ブルーベリー、ラズベリーを宝石のように飾ったタルト。

(……まさに宝石。わたくしにふさわしいスイーツですわ)

 コーヒーを一口。

 深い香りに、肩の力が抜けた。

(あの裁判から、やっと解放されましたわ……)

 思い返すのは、家賃滞納の少額訴訟、隣地境界のトラブル。

(司判事は、どうして規則を軽んじて……。けれど、当事者が救われていたのも事実。

……理解不能ですわ)

 ため息をつき、タルトを切り分ける。

 カラン、とドアベルが鳴った。

 同時に「ふんふんふふーん♪」という鼻歌が流れ込む。

 菊乃が振り向くと――

 赤いタータンチェックのスカートに黒いブラウス。

 同柄のベレー帽と真っ赤なリボン。

 黒タイツにローファー。

 奇抜な姿で鼻歌を奏でていたのは――花霞地方裁判所桜都支部判事、司 法子だった。

 菊乃は顔をそらし、心臓がどくりと鳴る。

(なぜ、この人が……? まさか、同じタルト目当て?)

 胸の奥でざわめきが広がる。

「やぁ、慎ちゃん! 久しぶり〜!」

「……久しぶりだな、ロックスター」

「イェーイ☆ 今日もノッてるぜ〜!」

 法子は腰を下ろすなり声を上げ、馴れ馴れしく手を振る。

 菊乃に気づく様子はない。

「おばけプリンと、地獄のコーヒーをセットで!」

 一瞬で店内が凍る。

 菊乃はフォークを止め、手を握りしめた。

 “おばけプリン”――直径二十センチの巨大プリン。

 ホイップとチェリーを山盛りにした裏メニュー。

 頼む者は法子しかいない。

 “地獄のコーヒー”――豆三倍、漆黒の一杯。

 苦味とカフェインで胃が悲鳴を上げる代物だ。

(……っ、やはりベリータルトどころではありませんでしたわね! よりにもよって、そんな怪物メニューを……!)

 法子はカウンターで腕を組み、にやり。

「そうそう、慎ちゃん、聞いてよ。最近さ、うちに真面目すぎる書記官が来てね――」

(……!)

 菊乃の肩がびくりと揺れる。

 法子は楽しげに声色を変えた。

「判事っ、それは規則に反しておりますわ!」

 両手を腰に当て、顎を上げる真似。

 西園寺が吹き出し、常連客も笑いをこらえきれない。

 さらに法子は立ち上がり、叫んだ。

「プリンに例える必要は、まったくございませんわっ!」

 両手を大げさに振り回すその姿に、笑いをこらえる西園寺。

 客の一人はコーヒーをこぼした。

(……っ!?)

 頬が熱くなり、菊乃はついに立ち上がった。

「判事っ! あなたという方は――っ!!」

 法子は目を丸くし、すぐに満面の笑顔になる。

「おやぁ? おキクさん、奇遇だねぇ」

「は、はわわわ……」

 顔を真っ赤にして硬直する菊乃。

 その姿に客たちの笑いが広がった。

 西園寺が肩をすくめる。

「……確かにそっくりだ。いつから“モノマネ女王”になったんだ、ノリコ」

「おっと、バレたか!」

 法子は両手を広げて笑う。

 西園寺はため息をつき、カウンターを拭きながら言った。

「まったく、仲がいいのか悪いのか……。ほら、あそこの席でやってくれ」

「へいへい、慎ちゃんの言うとおり〜」

 法子は菊乃にウィンク。

「おキクさんも、一緒にどうぞ?」

「わ、わたくしは……っ!」

 視線を感じ、観念してうなずいた。

「……し、仕方ありませんわね」

 菊乃は落ち着かせるように大きく深呼吸して、結局は法子の後ろを歩く。

 ほどなくして運ばれる“おばけプリン”と“地獄のコーヒー”。

 店内の視線が集中する。

「ふっふ〜ん♪ 来た来た!」

 法子はスプーンを突き立て、にこにこ。

「おキクさん、このコーヒー、飲んだら胃が爆発するんだよ!」

「何を嬉々として語っておりますの!? そもそも“地獄”なんて不謹慎ですわ!」

「いやいや、ここまで苦いと逆に清々しい☆ 判決文だって三本立てで書けそう!」

「絶対に間違った方向にしか仕上がりませんっ!」

 菊乃のツッコミに、法子はけろりと笑ってスプーンをくるりと回す。

 二人のやり取りは、漫才そのものだった。

 そのとき、客の声が響いた。

「……ない! 財布がないっ!」

 一瞬でざわめく店内。

「誰か盗ったに違いない!」

「俺じゃない!」

「隣の席でガサゴソしてたのを見たぞ!」

 疑心暗鬼が広がる。

 菊乃は立ち上がりかけた。

「け、警察に――」

「まぁまぁ、おキクさん、落ち着いて!」

 法子が立ち上がり、のんきな声をあげる。

「財布なんてさ、プリンのカラメルみたいに沈んで隠れてるだけかもよ?」

「財布を“カラメル”に例える意味はありませんわっ!」

 シーンとする店内。

 次の瞬間、何人かの客が吹き出し、空気がふっと緩む。

 法子はソファの下を覗き込み、声を張った。

「おっと〜! ここはカラメルゾーン! ……なになに? ほら、プリンの底から出てきました〜!」

 ごそりと出てきたのは、問題の財布だった。

「……ありました……」

 男性は赤面し、頭を下げる。

「す、すみません。ただ落ちていただけでした……」

 店内は安堵の笑いに包まれた。

 菊乃は深く息をつき、席に戻る。

 法子は巨大プリンをすくい、漆黒のコーヒーをぐいっと飲んだ。

「ぷはーっ! この苦味、クセになるんだよねぇ」

「……まったく。せっかくの休日が台無しですわ」

 菊乃は呆れたような表情で視線をそらす。

 だが、その声には少し力が抜けていた。

 窓の外に夕暮れの橙色。

 街の喧噪はゆるやかに静けさへと変わっていく。

 菊乃はふと横目で法子を見る。

(……この人は破天荒で規則知らずですが、なぜか、ここでは馴染んでいるのですわね……)

心のつぶやきは、タルトの甘さとコーヒーの香りに溶けていった。

(つづく)

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